大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成3年(オ)1989号 判決

上告人

円谷光男

円谷美代子

髙丸安弘

髙丸久美子

右四名訴訟代理人弁護士

三宅雄一郎

高木権之助

被上告人

大東京火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

小坂伊左夫

右訴訟代理人弁護士

日野和昌

中杉喜代司

主文

原判決中、上告人ら敗訴の部分を破棄する。

前項の部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人三宅雄一郎、同高木権之助の上告理由について

一  原審の認定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  有限会社堀工業所(以下「堀工業所」という。)は、東京都武蔵村山市三ツ木八六九番地一所在、家屋番号八六九番地一、木造スレート葺平家建居宅工場、床面積115.70平方メートル(以下「本件建物」という。)を所有していた。

2  平成元年一月二九日、本件建物が全焼した(以下、右火災を「本件火災」という。)。

3  本件火災当時、本件建物は無人の倉庫として、当面は必要のない家財道具、美容院用具、宣伝用マッチ、雑誌、新聞紙、段ボール箱などの雑品が置かれており、荒廃した外観を呈し、雨戸を外せば窓から人が容易に出入りできる状態で、浮浪者が侵入したりなどしていたため、付近の子供の間では「お化け屋敷」と呼ばれていた。

4  本件火災は、当日の午後四時三〇分ころ、円谷悟(昭和五三年一一月一三日生まれ。以下「悟」という。)と髙丸健太(昭和五四年二月一一日生まれ。以下「健太」という。)が、雨戸の外れていた窓から本件建物に入り込み、多数のブックマッチが詰められた段ボール箱を発見してこれを取り出し、その場にあったプラスチック製の容器(洗顔器)内に、その場にあった新聞紙をちぎって入れ、これに右マッチで火をつけて遊んでいた際、容器の底部が熱で融けて火がダンボール箱等に燃え移ったため発生したものである。

5  悟及び健太は当時それぞれ満一〇歳二月、満九歳一一月の未成年者であり、責任を弁識する能力がなかった。

6  上告人円谷光男及び同円谷美代子は悟の親権者であり、上告人髙丸安弘及び同髙丸久美子は健太の親権者である。

二  本件訴訟は、被上告人が、悟又は健太の監督義務者である上告人らに対し、同人らは民法七一四条一項に基づき、それぞれ堀工業所に対して悟及び健太の行為により本件建物が焼失したため堀工業所が被った損害を賠償すべき義務があるところ、被上告人は、堀工業所との間で本件建物を保険の目的として店舗総合保険普通保険契約を締結し、堀工業所に対して本件火災を保険事故とする保険金の支払をしたことにより堀工業所の上告人らに対する損害賠償請求権を代位取得したと主張して、右保険金相当額の損害賠償を請求するものである。

三  原審は、前記事実関係を前提として上告人らの責任を判断するに当たり、本件が失火であることにかんがみ、失火ノ責任ニ関スル法律と民法七一四条の適用について検討した上、本件のように責任を弁識する能力のない未成年者の行為により火災が発生した場合においては、右未成年者の事理弁識能力を前提として、その行為態様を客観的に考察し、同人に重大な過失に相当するものがあると認められるときは、失火ノ責任ニ関スル法律に規定する失火者に重大な過失があるときに該当するものとして、右未成年者の監督義務者は民法七一四条一項に基づく不法行為責任を負うと解するのが相当であるとし、前記事実関係の下においては、本件火災を発生させた悟及び健太の行為には右にいう重大な過失に相当するものがあり、監督義務者である上告人らが民法七一四条一項ただし書にいうその監督を怠らなかったものとはいえないとして、被上告人の請求の一部を認容した。

四  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

民法七一四条一項は、責任を弁識する能力のない未成年者が他人に損害を加えた場合、未成年者の監督義務者は、その監督を怠らなかったとき、すなわち監督について過失がなかったときを除き、損害を賠償すべき義務があるとしているが、右規定の趣旨は、責任を弁識する能力のない未成年者の行為については過失に相当するものの有無を考慮することができず、そのため不法行為の責任を負う者がなければ被害者の救済に欠けるところから、その監督義務者に損害の賠償を義務づけるとともに、監督義務者に過失がなかったときはその責任を免れさせることとしたものである。ところで、失火ノ責任ニ関スル法律は、失火による損害賠償責任を失火者に重大な過失がある場合に限定しているのであって、この両者の趣旨を併せ考えれば、責任を弁識する能力のない未成年者の行為により火災が発生した場合においては、民法七一四条一項に基づき、未成年者の監督義務者が右火災による損害を賠償すべき義務を負うが、右監督義務者に未成年者の監督について重大な過失がなかったときは、これを免れるものと解するのが相当というべきであり、未成年者の行為の態様のごときは、これを監督義務者の責任の有無の判断に際して斟酌することは格別として、これについて未成年者自身に重大な過失に相当するものがあるかどうかを考慮するのは相当でない。

そうすると、上告人らに悟又は健太の監督について重大な過失がなかったか否かを判断することなく被上告人の請求を認容した原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、その違法は原判決の結論に影響することが明らかである。論旨は理由があり、原判決中、上告人ら敗訴の部分は破棄を免れない。そして、本件については、右の点につき更に審理を尽くさせる必要があるから、これを原審に差し戻すのが相当である。

よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官千種秀夫 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官尾崎行信)

上告代理人三宅雄一郎、同高木権之助の上告理由

第一、法令違背

一、民法第七一四条と失火の責任に関する法律

1、本件事案は民法第七一四条と失火の責任に関する法律(以下失火責任法という)との関係を如何に解釈し、これらの法律をどのように適用するかによって、判決の結論が大きく左右されるものである。

2、原判決は民法第七一四条の責任無能者に対する監督責任を論ずるにあたって、民法第七一五条の被用者に対する使用責任を対比させ、これと同列に論ずるという誤りを犯している。

民法第七一四条は家族共同生活の実体を注視して親権者らの未成年者らに対する監督義務を根拠とするものであり、他方、民法第七一五条は使用者の被用者による自分の拡大、すなわち、私的自治の拡大を使用者自らの選択によって行なっていることを根拠としているのであり、同じく監督義務の問題といっても、その拠ってたつところの立法精神は全く異なるものであって、両者を同列に論ずるべき根拠は全く存しないのである。

3、そもそも民法第七一五条は責任能力を有する被用者の行為を対象としているのに対して、民法第七一四条は責任能力を有しない者の行動に対する責任を問題としているのであって、監督責任の対象そのものが同列に論じえない以上、責任無能力者の行動に「過失に相当するものの有無及びその軽重」を論じて、本件事案の未成年者らの行動に「重過失的なもの」という評価をなし、民法第七一四条と失火責任法との関係の解釈を民法第七一五条(使用者責任)と失火責任法との関係と同列に論じた原判決の法令解釈の不当性は明らかであり、判決に影響を及ぼす重大な法令違背を犯したものである。

第二、理由不備・理由齟齬

一、「故意に近い重過失」の認定について

1、原判決は判決理由第八項において「本件のような火遊びによる火災という故意に近い悪質な事案」と認定しており、この認定こそが本件事案の未成年者らの行動に「重過失的なもの」という評価を行なう要因となっている。

然るに、原判決は他方で本件未成年者らの行動に関する事実認定のなかで、「容器の中に紙をちぎって入れた」旨を認定している。

2、原判決のいう「故意に近い悪質な事案」という認定は、「放火に近い行為」という認定をしたことになるのであるが、そうであるならば、火が他に延焼することを防止するべく「容器」を用い、火力が拡大することを防止するべく「紙をちぎって入れた」という認定事実とどのような整合性をもつことになるのであろうか。

「容器の中に紙をちぎって入れた行動」は延焼防止の配慮をなしたことを明らかに示す事実であり、また、他に「放火に近い行為」という積極的な認定をなすに足る資料が何ら存しないのに、原判決は何ら具体的理由を示すことなく本件未成年者らの行動を「放火に近い行為」すなわち「重過失的なもの」と断じているのである。

原判決の理由中には、右の点についての理由不備・理由齟齬が存するのであり、これはまた判決の結論に直ちに影響を及ぼす問題である。

第三、審理不尽

一、責任無能力者の行動における「重過失的なもの」の存在の立証責任

1、帰責事由としての故意・過失・重過失という概念とは別の次元で責任無能力者について原判決のいうところの「客観的に重過失的なもの」を認定することが、民事責任論において可能なものであるのか、また、それはどのような基準で判断できるのかについて極めて強い疑問を持つところである。

2、仮りに原判決のいうとおり責任無能力者に対して「重過失的なもの」の存在を客観的に判定できるとした場合、その「重過失的なもの」の存在の立証責任は「重過失的なもの」の存在を主張する側、すなわち、被上告人にあると考えるべきは当然である(最高裁昭和三二年七月九日判決参照)。

蓋し、民法第七一五条と同列に論じる以上、「重過失的なもの」の存否は、「親の監督義務違反」の有無の問題とは別の次元の問題となり後者の立証責任に吸収されるべきものではないこととなるからである。

3、ところで、未成年者は一般に心身ともに未成熟であって、同じ一〇歳の子供達の中でも、「体の発育した者、そうでない者、知能の発達した者、そうでない者、徳育面で優れた者、そうでない者、情緒面が優れた者、そうでない者、ある程度社会体験を得ている者、そうでない者」等、誠に千差万別である。

然るに、原判決は何らの具体的な証拠資料(例えば、小児精神科医の鑑定意見等)なくして、「一〇歳前後の小学四年生の事理弁識能力」を理由もなく決めつけ、かつ、その能力の程度を具体的に言及することもなく、「重過失的なもの」を認定しているのである。

右の原判決の認定は明らかに立証責任を無視したものであり、判決に影響を及ぼすべき重大な審理不尽といわざるを得ない。

4、本件未成年者等の行動はダンボール箱の上で「椀状の容器」の中にマッチおよび「ちぎった紙」を入れて燃やしたものである。しかも、その動機は火の勢いを楽しむものではなくして「お化け屋敷」の探検のための「灯りとり」であったのである。

このような行動の奈辺に「故意に近い重過失」が認定できるものであろうか。

右の行動の奈辺に、「直ちに火災発生につながる危険性」を認めることができるのであろうか。

5、勿論、本件未成年者等の行動の中で、「お化け屋敷」とはいえ他人の所有する本件建物に侵入したことは、許されるべきものではない。

被上告人も右の点をつとに指摘・主張しているのであるが、上告人らはこの点の許されざる行動について何ら争うものではない。

然し、「失火責任法」における「重過失問題」を論ずるにあたって、右の「他人の所有建物に侵入した事実」の悪質性を重過失問題の判断材料に持ち込むことは大きな誤りである。

「本件建物に侵入した事実」は、失火責任法との関係ではせいぜい「正当な理由なく火を用いた」という判断に資するにとどまるものである。

二、損害論

1、原判決は損害額の認定につき、損害保険会社が対保険契約者との関係で内部的に作成した遠山鑑定評価書をベースにこれを行なっている。

右の鑑定評価書の内容そのものが極めて不明瞭で損害賠償論の鑑定評価としての証拠価値が極めて乏しいことは、上告人が原審においてつとに主張したとおりである。

そこで、原判決は右鑑定評価書の償却率、年1.8パーセントを年2.3パーセントに置き換えて評価替えを行ったものである。

然し、右の償却率年2.3パーセントも結局のところ、損害保険会社と保険契約者間における「支払保険金額算定」のために認められたものにしか過ぎず、損害賠償論における通有性を持つものではない。

損害賠償論においての通有性ある鑑定は、資格ある不動産鑑定士によってなされるべきものである。

右遠山鑑定評価書によれば、本件建物の再築価額を金九九一万七、〇〇〇円と評価しているが、この再築価額も実際の建物の仕様、グレードをどのように判断するかによって金額的に大きく差異が生ずるのである。

本件建物の仕様、グレードにつき証人遠山克亮は建築請負業者に問い合わせてその確認をした形跡もなく、また、訴外堀工業所から本件建物の建築工事契約書を取り寄せた形跡もない。

また、不動産鑑定士による建物の鑑定評価の場合、必ず「観察減価率」による減価、すなわち、使用方法による減価・保守状況による減価・機能的減価を行なうのであるが(乙第五号証一七八頁)、右遠山鑑定評価書ではいっさいこれが行なわれていないのである。

2、右の次第で、原判決の行なった損害評価は、遠山鑑定評価書の内容について疑義を持ちながらも、わずかに償却率だけを変更してこれを採用するという極めて小手先の手法を用いたに過ぎないのである。

被上告人は損害保険会社として然るべき損害調査員を各支店毎に配しており、本件のような保険代位による求償を行う場合は、被災状況を丹念にカラー写真におさめ、かつ、罹災建物の建築工事契約書の取寄せ、あるいは、建築業者に対する調査を行う等して証拠保全を図るべきである。

蓋し、損害額の立証責任は被上告人が負うものであり、かつ、それが可能なポジションにあるからである。

然るに、原判決の損害認定の手法によれば結局のところ本件の損害額の立証責任を上告人に負わしめたに等しいものとなるのである。

仮りに、被上告人の証拠収集の怠慢のために今となっては不確定要素の多い中での損害評価をなすしか方法がないとしても、その不確定要素部分については控え目認定を行なったうえ、資格のある不動産鑑定士による鑑定評価を行うべきである。

右の裁判上の鑑定申請は、損害額を立証すべき被上告人がなすべきものであるが、いずれにしても、原判決は遠山鑑定評価書の内容に疑義を抱いたのであるから、資格ある不動産鑑定士による鑑定を経て本件の損害評価をなすべきであったのであり、この点についても判決に大きな影響を及ぼす審理不尽が存すると言わざるを得ない。

3、因みに、甲第四号証によると訴外堀工業所ないし訴外堀保男と被上告人との本件保険契約は、保険金額を金七〇〇万円と定めて締結されている。

そして被上告人が訴外堀工業所ないし訴外堀保男に対して支払った支払保険金は、金七、六三六、〇九〇円であり、右の保険金額金七〇〇万円と極めて近似した金額となっている。

この点からも明らかなように、損害保険会社は保険の目的物の現実的価値とかかわりなく保険契約時に設定した保険金額に応じた保険料を継続的に収受していることから、超過保険の場合、「割高の保険料を継続的に収受しながら、保険事故発生の時点で『掛け過ぎでした』というのは不当だ」というクレームがつくためにしばしばその設定した保険金額に近づけた支払保険金額を算出するべく評価にかなりの手心を加えるのである。

4、本件の罹災建物は、外観からも「お化け屋敷」と呼ばれ、現に物置として使用されていたにとどまり、また時折浮浪者が立ち入る等、全く無管理状態に置かれていたものであるのみならず、近々のうちに取壊しを考えていたものである。

右のような状況の本件建物の価値について、虚心坦懐に考察した時、原判決の判示する金四二一万余円もの価値を有すると誰が考えられるであろうか。

第四、まとめ

一、民法第七一四条と失火の責任に関する法律との関係

1、民法第七一四条の責任無能力者の監督責任と失火責任法との関係を解釈するにあたって、責任能力者の不法行為を前提要件とする民法第七一五条と同列に扱うことは理論的矛盾を内包するものであり、また、具体的妥当性を検討するにあたっても両者を同列に扱わなければならないとする具体的根拠は見出し得ないものである。

2、失火の責任に関して民法第七一四条を解釈するについて、責任無能力者の監督者の監督義務違反の点に重過失が存するか否かを判断することが極めて率直な解釈であり、理論的矛盾もなく、また、後述するとおりその具体的妥当性についても何ら問題がないのである。

また、責任無能力者の失火にかかわる具体的行動は、普段の親の監督状況の反映として評価される要素を持っているのであり、それは親の監督義務違反の内容に包摂できる事柄であることから、民法第七一四条と失火責任法との関係について、責任無能力者の監督者の義務違反につき重過失が存するか否かをもって判断することに何ら不都合はないのである。

3、失火責任法の存在によって火災保険制度は広汎に普及し、今では借家・アパート住まいの者もその保有する動産のために動産総合保険(火災による損害も填補される)への加入傾向が極めて高いものとなっている。

従って、失火責任法のもとで、火元となった加害者に対する損害賠償請求は、本件のように保険金を支払った損害保険会社が保険代位によって行なうことになるのがほとんどといってよい。

今日の日本の住宅事情では、まだまだ木造家屋が多数存在し、類焼・延焼の事案も多発しているところであるが、反面、火元となった加害者に対する損害賠償請求訴訟は極めて例が少なく、従って、失火責任法に関する判決例もまた極めて少ないのが実状である。

右の実状を鑑みると、失火責任法は火災保険制度の普及に大きく寄与し、それがために今日においては失火事案についての法的安定性を市民生活の中に確かたるものとして植え込んでいるといえるのである。

ところで、火災保険制度はそもそも加害者の有無を問うことなく保険事故発生による損害を填補するというものであり、加害者に対する保険代位による求償を本質的要素としていないのである。

そのような火災保険の制度論および前述の市民生活の法的安定性の中にあって、今なお失火責任法を「悪法」と呼び続け、損害保険会社の保険代位のために同法の法解釈をゆがめるべき根拠はどこにあるのであろうか。

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